



音楽は自由で
そして奥深い
言葉で表現することが
不得意な私にとって
上手く言い表せなくて
伝えられないことを
フルートは自由に
表現させてくれました
佐藤 梢

大分県出身。
今では昭和の街として有名となった大分県豊後高田市のど真ん中(豊後高田の歌舞伎町だと思っています(笑))で生まれました。育ちは大分市。小学校より大分市の岡原に移り住み、サバイバルな田舎っぺ時代を過ごしました。山へ遊びに行き、亀を拾ったり兎を拾ったりしました。食卓にイノシシやマムシが出たこともありました。実家の風呂は未だに薪風呂です。同じ年の女の子がいなかったこともあり、もっぱら男の子と張り合って遊んでおりました。泣かされたら泣かし返すということも学びました。また、小学校までは過酷な道のりだったため、おかげさまで丈夫な体に育ちました。
岡原の決まりで、6歳から女の子はお祭りの横笛を、男の子は太鼓を始めるため、岡原の女の子はフルートもそれなりに鳴らすことが可能という能力を持っております。
横笛を始めた当初は、よく頭がくらくらしましたが(大人になってから酸欠だと気づく。)それが何なのか分からず、くらくらしながら御神輿の後を歩いて、吹き続けたことをよく思い出します。
上手く吹けずに泣いたりもしましたが、ほったらかしにされていたので、強くなりました。
4歳からピアノを習っていたので、将来は音楽の道に行きたいと思っていたのですが、クラスに名手がいたため、6年生のときに挫折しました。しかし、6年生のときにフルートを始めましたら、周りにフルートを習っている子がいなかったため、中学進学と同時に吹奏楽部に入ったときには、それなりのことが出来ました。高校に進学した際も、吹奏楽部に入り、それなりのことが出来ておりました。しかし、これは良き先輩や先生にめぐり合えたからであって、自分の実力だとは思っておりません。
心の中では音大へと思っていたのですが、なかなか口に出すことが出来ずにずるずると3年の夏まで経ってしまいました。やっと口に出したときにはきわどい時期になってしまったため、猛勉強。それまでの人生で1番頑張った時期でした。
ピアノは部活の副部長に、ソルフェージュは同じパートの子とパーカッションの子に手伝ってもらいました。

何とか音大に合格。吹奏楽部のみんなと、先生のおかげでした。こんなに受験勉強を友達にサポートしてもらって、なんだか、みんなで勝ち取った合格だと思っています。

音大生活は毎日が楽しくて、学校に行くのが大好きでした。始発から学校に行き、閉館になるまで学校にいました。と同時に社会に出る不安も出てきました。
卒業してみると、やはり不安は的中し、毎日辛い日々を過ごしていました。仕事もなくバイトだらけ、辛いと口に出したら終わりだと思っていたので、絶対にそれだけは口に出さず、人前では楽しくいようと心がけていました。
高い学費を払ってもらっても、返すことが出来ず、そして辛いとも口に出せず、一体私は何をしているのだろうと思っていました。結局、一般就職をして人並みに稼いで、フルートを趣味にした方が、お世話になっている人に恩返しが出来るのではないだろうかとも思っていました。しかし、フルートを捨てる勇気もなく、というより、数少ない演奏の機会が嬉しくて楽しくて、素直な気持ちでフルートを吹いていました。
人生、遅咲きという言葉を信じて、今の今まで続けています。
少しずつ仕事も増え、色んな方々との出会いや支えで、なんとか演奏家としてのスタートをきれたと思う今日この頃ですが、年々理想も高くなり、自分が若輩者であることを痛感する毎日です。でも、とても充実しております。
田舎のサバイバル生活で培った体力で、男には負けるかと思っているのですが、周りを見れば素晴らしい奏者ばかり。得意な音楽はおそらく邦人現代。好きなジャンルはロマン派です。
フルートの表現は幅広く、小学校時代に培った横笛の表現をフルートでも出せたらと思い、和の音楽を好むことが多くなりました。演歌や歌謡曲も好きです。フルートを通して田舎の山々や田畑。祭りの風景などが表現できたらなと思っております。
たくさん辛いこともあるけれど、フルートと宵街小町のみんながいれば、どんな壁も乗り越えられると思っています。そして、なによりもお客様の笑顔や拍手をいただくと、また頑張ろうって思います。
いつも楽しく明るく頑張れます☆
まだまだ未熟な私ですが、精一杯みなさまに元気と癒しの空間を与えられるフルート奏者でありたいです。こんな私ですが、応援していただけたら幸いです。どんな時でも精一杯の演奏をお届けいたします。
